【書評】なぜ「平和を祈るだけ」では戦争を防げないのか? 小室直樹『新戦争論―“平和主義者”が戦争を起こす』
2026年3月24日
闘う行政書士の照井遼です。
ウクライナ情勢の長期化や東アジアの緊張が高まる今、重大な示唆を与える一冊があります。
それが、社会学者・小室直樹氏が1981年に著した『新戦争論―“平和主義者”が戦争を起こす』です。
学生の頃に読んだ本ですが、世界情勢が混沌としている今だからこそ、もう一度手に取りました。
今回は内容(書評)を簡単に紹介し、昨今の国際情勢を読み解くためにどのような示唆を与えるか考察します。

この本は出版から40年以上が経過していますが、その内容は驚くほど現代の国際情勢の真理を言い当てています。
本書の最大のメッセージは、「戦争反対と唱えるだけの無自覚で感情的な平和主義こそが、かえって国家の危機を招き、戦争を誘発する」という逆説的な事実です。
戦争は「狂気」ではなく「制度」である
本書は、戦争を単なる「絶対悪」や「狂気」として片付ける感情論を戒めます。
国際社会において戦争とは、国家間の紛争を解決するための「最終的な手段(制度)」です。
これを直視せず、ただ平和を祈念して相手に譲歩を重ねるとどうなるか。
小室氏は、第二次大戦前の英仏によるナチス・ドイツへの「宥和(ゆうわ)政策」を例に挙げます。
戦争を恐れるあまりヒトラーの要求を呑み続けた英仏の態度は、結果的に独裁者を増長させ、人類史上最悪の戦争を招きました。
力(抑止力)の裏付けのない平和主義は、侵略国家にとって「侵略のゴーサイン」として受け取られてしまうのです。
日本人が陥る「思考の病理」
では、なぜ日本人はこの冷酷な現実を直視できないのでしょうか。小室氏は日本人の「思考のクセ」を鋭く指摘します。
最大の原因は「言霊(ことだま)信仰」です。
日本人は「戦争」や「有事」といった不吉な言葉を口にすると現実になるという無意識の恐れから、最悪の事態を想定する防衛論議をタブー視してしまいます。
さらに、客観的な論理よりもその場の「空気」に流されやすく、戦前の「一億火の玉」から戦後の「絶対平和」へと、思考のベクトルが180度変わっただけで、非合理的な精神構造は何も変わっていません。
「国家」と「個人」の次元を混同し、個人の道徳を弱肉強食の国際政治に当てはめようとするのも致命的な弱点です。
【現代への当てはめ】ウクライナと東アジアの危機が証明した現実
この小室氏の理論を現代に当てはめると、国連の無力さ(国連は絶対的な世界政府ではない)や、「降伏=平和」ではなく主権と人権の喪失を意味するというウクライナの過酷な現実がそのまま説明できます。
台湾有事や北朝鮮の核の脅威を抱える日本にとって、「波風を立てないこと(現状維持)」は平和を担保しません。
ウクライナが自ら血を流して戦う意志を見せたからこそ国際社会の支援を得られたように、日本も「自国の領土と国民は自らの力で守り抜く」という強烈な意志と、相手の侵略を諦めさせる圧倒的な「抑止力」を平時から示す必要があります。
まとめ:平和を望むなら、戦争のメカニズムを知る
『新戦争論』は、「平和を望むなら、まず戦争のメカニズムを冷徹に研究せよ」という安全保障の基本中の基本を私たちに突きつけます。
ローマ帝国の格言「平和を望むなら、戦いに備えよ」の通り、祈るだけの情緒的な甘えを捨て、国際社会の冷酷なリアリズムを持つことこそが、本当の意味で戦争を防ぐ第一歩なのだと考えさせられる、今こそ読まれるべき名著だと思います。
また、憲法9条の存在それ自体が、日本だけではなく近隣諸国(国際社会)の安全保障環境を脅かしているのではないか、と本書を通じて確信するようになりました。
皆様にそのような問題提起をさせていただきたいのですが、どう思いますか?